戦場ーハイラル紀行

 翌朝(8月30日)、約束の8時半ホテルのロビーに下りていくと、ハクさんとコさんが待ち受けていた。今日の予想気温は7℃〜17℃といい、今日の行程を確認した。ホロンバイルから省道201号を南西に下り、ノモンハンの戦場跡・記念館を見学。帰路は一端アアルシャン(阿尓山)市に向かい、202号線によって北上する。途中で遅い昼食を摂って、白音呼碩(バイインホショウ)草原に向かう。ということであった。つまり僕が事前に旅行社のコウさんと立てていた計画通りである。
 ハイラル(ホロンバイル)を離れて車は一路、南西に向かう。市街地を離れるとそこは一面に草原である。この草原は全体としてホロンバイル草原と呼ぶ。こちらの季節ではもう晩秋だというのだが、草原はまだ緑が濃い。行けども行けども草原である。以前ハクさんが案内した元兵士の言によると、ハイラルからノモンハンまでを徒歩で行軍したそうだ。所々に湿地帯が見られるが、一湎の草地の遠くに、ゲルが見えたり、その周りの放牧された牛の群れが表れたりする。炎天下の夏の行軍は大変だったらしい。真夏の草原の昼は40℃近くの気温で、夜は一転零下になることもあるという。確かに、沙漠やステップ地帯の気温の日較差はとても激しいのだ。
 (どこまでも真っ直ぐな道路。比較的新しく、改修が必要なところはなかった。)
(国境線に最も近いところ。道路から100メートルほどの所に白杭がって、そこが国境だという。)
 その元兵士によると、飲み水に苦労したそうだ。草原の湿地帯の水はほとんど塩分が多すぎて飲めない。ハルハ川だけが飲める水だったらしい。
 その上、夜は蚊の大群に悩まされたという。「ここの蚊は馬や牛の厚い皮を突き通す凶暴な針を持っていて、日本兵の夏服など訳もなく突き通し、一端と取り付いたら払ったぐらいでは取れない。一匹ずつ引きちぎらないと取れなかったそうだ。」と妻が直前に読んだ『ノモンハンの夏』(半藤一利)の記述の一節を紹介してくれた。
 後日、この本を読むと、夜半に用を足す兵士の悲惨な苦労ぶりが良く分かった。大の時にはお尻を丸出しにするのだから、そこに一面真っ黒になるほど蚊が押し寄せる。同輩の兵士が蚊遣りの草をいぶして、それを尻に向けて団扇で扇いで貰わないと、用便もできなかったと書かれていた。