戦跡ーハイラル紀行

 ハイラルからこの国境までの距離は縮尺385万分の1の全国道路地図で計算してみると、約205kmである。車は大体80km/時の安全走行だったから、2時間半の行程である。道路は極めてきれいに舗装されており、途中に牛の群れなどが横切らなければ、日本の高速道路を走っているのと変わらない。(もっとも、瀋陽の高速道路を走っていると、自転車や電動バイクが走っていたりするから、日本的な常識はここでは通用しない。)多くの車が時速100kmぐらいで追い抜いていく。途中で検問所があって、運転手が免許書や身分証明書を提出させられていた。この時ばかりは、運転手もガイドも少し緊張して、それまで付けていなかったシートベルトをいつの間にか付けている。察するに、国境が近いので不審者(脱北者など)を運んでいないかチェックしているような感じがする。
 国境近くまで来るまでに、民家らしきものはほとんど見なかった。地図の上には、新宝力格といった町の名前が記されているが、ほとんど目にした記憶がない。むしろ、時々見られるパオ(包:蒙古包=モンゴル人のゲル)の方が印象に残っている。定住化は進んでいるようだが、まだ伝統的な生活スタイルのモンゴル人も多いのだという。
 国境から25kmほど行ったところに20〜30戸ほどの集落が見えた。それがノモンハン村(諾門汗布日徳)であった。村のはずれを右折すると平原の中の遠くに建築物が見えた。折悪しく、進入路を工事中で、ブルドーザーが整地中だった。砂利道を進むのだが、運転手はブルーバードシルフィのお腹をこすらないようにゆっくりと走らせる。日本人客なので特に日本車を用意したのだそうだが、どうりで2日半で2400元もしたのだ。
  ノモンハン戦役遺跡陳列館と書かれている建物は意外に大きかった。というのも、同僚の一人が8年ほど前に来たときは、ゲルの中に展示物が陳列してあるだけのものだったそうだ。つまり、ごく最近になって陳列館の建物を建てたのだろう。陳列館の周りには、戦車や飛行機がそれらしく展示してあるが、ガイドは「あれは全部偽物」と言下に言い放った。