参謀ーハイラル紀行

 ノモンハン戦役での重要人物に辻正信がいる。辻正信については個人的な記憶がある。
 辻は現職の参議院議員のままで、1961年4月にラオスで消息を絶っている。そのことが新聞記事になった頃だったので、僕が14才になった頃だっただろう。父が新聞を読みながら「辻正信が行方不明になっているらしい」と僕に語りかけた。「ええ!辻正信?」と聞き返すと、父は「作戦の神様」とか『潜行三千里』などを挙げて、郷土の偉人のように語った。確か父は、「ラオスだからまた、昔と同じように潜行しているのかも知れない。」と言っていたが、60年安保後の高度成長に沸きはじめた頃のことでもあり、何も知らない僕はただ、黙って聞いていただけだった。一体どういう人だろうかという関心はその時限りになってしまった。
 その辻の名前を見たのは『ノモンハンの夏』(半藤一利)を読んだからである。
 ウィキペディアで調べた「辻正信」の項目には、果たして石川県江沼郡東谷奥村今立(現在の加賀市山中温泉)の出身と書かれていて、衆議院議員も何期か務めていたようである。道理で、能登地方出身の僕にはなじみのない名前であったのだ。
 辻の無謀な作戦指揮については、半藤氏の先の小説で徹底的に分析、指弾されているところであるから、言うべきことはない。ただ、この辻という人物は、独断専行型の典型的な陸軍参謀であり、一介の兵士の苦渋など意にも介さない人であったようである。ましてや、国民がどんな苦汁を舐めていようがお構いなしに、彼の脳中にある作戦をひたすら遂行しようとする、その意味でも典型的な参謀であった。
 ただ、この奇矯な人物についていま言えることは、彼の関わった作戦のどれについても、徹底して責任を取らない人だったようだ。ノモンハンしかり、シンガポール虐殺事件しかり、ガダルカナル作戦然りだ。そして、極めつけは、「戦犯」を逃れるために、インドシナ、中国、日本国内と逃げ回っていたのだ。それを自伝『潜行三千里』として出版し、一躍人気者になったのだから、到底郷土の偉人などとは呼べない。
 ノモンハン戦跡を少し歩いて、今こんなことを考えている。戦犯を逃れた人物が国会議員になり、元戦犯の岸信介と対立して、自民党を除名されたと書いてあるが、岸の孫が今総理大臣をしている。僕は日本の戦争責任の問題が本当に徹底して追求されたのか、戦後68年たっても、疑問に思えてくるのだ。
 この項は一端終わりにして、今夕から、山西省を旅行してくる。では、五日後に。