車掌2ー太原日記

武郷行きの寝台車の女車掌は40歳前後のベテランに見えた。僕の席は3段の一番下だったので、早朝6:45に太原に着いたことでもあり、暫く眠ろうと思っていた。
 列車は7:17の時間どおりに出発した。向かい側の席には孫娘を連れた祖母が座っていた。母親は少し離れたボックスになったらしく、目の前の通路で、娘のためのミルクを作り出した。ミルクを飲ませているところを写真に撮ろうとして、祖母に聞いたところ、断られてしまった。この祖母は写真が嫌いなのか、それとも写真に対する偏見があるのか、あるいは外国人に対する警戒か。いずれとも分からなかったが、断られたのは初めてのことであった。列車は30分ほど走って、楡次という駅に着いた。通路をよちよち歩いていた先程の孫娘が停車した弾みにベッドの角に頭をぶつけた。鳴きそうになったので僕が起こして、祖母に引き渡した。
 楡次のまちは太原の近郊都市らしく、駅前に高層ビルを建築中であった。
 乗客のほとんどはベッドに上がらず、窓際の席でぼんやり外の風景を眺めたりしている。一面が黄土高原のようである。収穫の終わった玉蜀黍畑や、収穫前の高粱畑が入り混じって続く。途中修文という駅を通過したのだが、それは対向車両の通過を待つためだったらしい。貨物列車が多く駐車している。中国ではまだ、物流の中心は貨物列車である。50両ほども連結した貨物列車を目にすることが多い。ちなみに、太原から北西の方角に大同炭田があるが、そこは今や中国一の産出量を誇る炭田である。その搬出は言うまでもなく貨車だそうだ。
 そこから約20分ほどすると、やや上りになり、高度高原の山地に入って行った。先程までの、広い区画を松、柳などの植林で囲った畑から、段々畑が多くなってきた。明け方に太原に着く前に目にした太行山脈の山容や植林の様とよく似ている。確かこの山西省は中国でももっとも貧しい省の一つに数えられているが、その理由の一つが、この黄土高原なのだろう。
 列車のデッキに立って、メモを取っていると、通りかかった男の車掌が、何をしているのかと聞いてきた。「風景を記録している」と答えると、あまり納得したようでもない顔で、通り過ぎて行った。変な旅行客だと怪しんだのだろうか。(続く)