弁論ー瀋陽日記

 昨日午後から、徳島県日中青少年育成交流協会が主催する第10回懸賞論文発表大会があった。東北大学と、私たちの教師の会が後援した。この懸賞論文大会の優秀者3名が徳島県に招待され、徳島県下の日中友好協会の会員宅でホームステイし、県庁訪問や徳島大学鳴門教育大学などを訪問して日本の学生と交流し友好を深めるという趣旨のものである。
 こういう催しは姉妹県・省や姉妹都市の間ではおおく見られるのだが、この会の発足は少し様子を異にしている。というのは、中心になっているM先生は、2年間の瀋陽での日本語教師を終えた後、日本に憧れや関心を持ち、日本に短期でも行ってみたいという強い希望を持つ学生のために、私財(M先生の退職金)を投げ打って、この論文大会を開催し、徳島の自宅などに学生を招待されていた。初期の5年間、私財でこの事業を継続されて、原資も底を突いたので、同好の有志を募って、青少年育成交流協会を立ち上げたのだという。
 第1回がこの瀋陽東北大学で始まったことでもあり、記念すべき第10回の大会をぜひ東北大学で行いたいという念願によって、瀋陽の地で開催された。
 実は、昨年、この地で第9回の大会を開催する予定であったのだが、「島」の問題をめぐる反日デモなどの余波で、この会の開催を見送らざるを得なかった。そういういきさつもあったので、主催者のM先生は一方ならぬ思い入れがあって、この会に参加された。
 学生の論文発表では、「一人からでも始める」という内容と「3000年の友好と50年の対立」というスピーチが心にとまった。前者は、遠山という方の「砂漠での植樹活動」を触れており、後者は「日中の3000年の友好と不幸な50年間の出逢い」に言及して、中国の若者として今何をなすべきかを述べていた。先の駐中国大使の丹羽宇一郎氏も言っていたが、「日本と中国とは引っ越しできない隣人なのだ」ということを実感し、多くの心ない声にくじけそうになりながらも、日中の間で自分にできることを真摯に探し求めている内容であった。
 日本語を学ぶ女子学生は「売国奴など家にいらない!」という父を、本当に理解させ、何時の日か父娘ともどもに、日本の地を旅行したいと語っていた。彼や彼女の切ないほど真剣な思いがひしひしと伝わってきた。
 M先生が人生の晩年を蕩尽して立ち上げ、強い意志によって継続されてきたこの事業を絶やさず、継続していく義務が僕にはあると感じている。