五徳ー瀋陽日記

 今日は特別に寒い。昨夜の雨から気温は急激に下がり、今日の気温は1℃〜9℃だという。明日の気温は-1℃〜10℃だそうだ。今(10:30)の外気温は2℃になっている。確かに瀋陽には秋がない。夏からいきなり冬になる。自転車で買い物に出かけたのだが、セーターの上にジャンパーを羽織っていても寒い。軍手をはめていても手が冷たい。いよいよ長い冬が来るようだ。
 生徒のスピーチ原稿を添削していて、意外な文章に出会った。「私が知っている日本」というテーマに添う文章なのだが、その内容が、面映ゆくもあり、的を射ているとも感じられる。
 「・・・一方、私が知っている日本は、中国ほど悠久の歴史はないけれど、抽象的な意味の『文明』は非常に発達して、礼儀や日常行為などの精神的な高尚さは『文明』という言葉にも表現できます。/日本が持っているこのような『文明』は中国の典籍『論語』の中の「温、良、恭、謙、譲」で説明できます。この5文字は、私が知っている日本を代表しています。・・・」
 筆者の女生徒は、この後、五徳のそれぞれについて具体的な例を上げて説明してくれる。例えば、海に囲まれた温暖な気候が、日本人の温厚な気風を育てたのだと言う。「良」では、日本留学中に捻挫した彼女が下校の電車に乗ったとき、何人もの人が「あなた大丈夫ですか?ここに座って。」「えっ!それどうしたの?」「ケガしたとき、すぐ冷やした?」とか声をかけてくれ、隣に座ったおばあちゃんは、捻挫の処理の仕方を色々熱心に教えてくれたと書く。つまり、「善良」さが日本の美風の一つだと認識しているのだという。
 少し褒め過ぎなのだ。しかし、褒められて悪い気がしないのは、どうしようもない。この文章が日本語によるスピーチ原稿なのだと分かっていても。よく見ているなという実感は拭えない。彼女たちは、ことほど左様に日本のことが好きなのだ。ある意味で理想化し、典型化しているきらいすらある。しかし、日本から聞こえてくる「従軍慰安婦はねつ造だ」「新しい教科書」「自虐史観」「機密保護法」「村山談話の見直し」「自主憲法」「卑日韓国」「反日中国」「ヘイトスピーチ」などの言葉を毎日目にしていると、こういう分析と言葉が、例えお世辞に類するように聞こえても、耳に心地いいことは事実だ。彼女の期待にぜひ応えるような日本であって欲しい、そうありたいと願うものだ。
 筆者の生徒は、この原稿を提出してすぐに、やはり意に沿わなかったのが、自分の心の声ではなかったのか、原稿の差し替えを申し出てきた。新しい原稿は、小学校低学年の時の自分の経験を綴った「母の本当の愛に気付くまで」と題するものであった。出来の悪いテストを隠して、見つけた母親からこっぴどく叱られ、2時間以上跪かされ、母親を恨んだが、その晩、寝ている(ふりをしていた)彼女のベットに母親が「ごめんね。こんなことをしちゃって・・・」と謝っている姿を書いたものだった。これもまた、意地っ張りの娘をもつ母親と対立する娘の姿が良く書けていた。スピーチの原稿は後者で行くことにしたが、前の文章も捨てがたい。何かの機会に発表させたいと思っている。(勿論日本語で書いた文章だ。)ここの生徒は良くやるなぁ。