医療ー瀋陽日記

 以前に歯医者のことを書いたが、その時にも中国の医療現場の実態の幾分かを紹介した。しかし、それはまだまだ、表面的なことだったのだと実感した。
 最近の「日本経済新聞」のコラム欄の書き手北村豊氏の記事を読んで、かつて教え子の一人が「“農村では医者にかかるくらいなら死んだ方がましだ”といって病院に行かない人が多い。」といっていたことを思いだした。
ノコギリと果物ナイフで自分の脚を切断
 河北省保定市清苑県の“東臧村(とうそうむら)”の村民である鄭艶良(現在47歳)は、かつては村でも有名な病気知らずの強壮な男で、鄭家の大黒柱であった。2012年1月28日の午後、鄭艶良は突然腹部に疼痛を覚えた。しばらくすると、疼痛はあっと言う間に両脚へ転移した。刃物で切り刻まれるような痛みに、豆粒大の汗が全身から滴り落ちた。どうにか村の診療所にたどり着いた鄭艶良は、鎮痛注射を受けて一息ついたが、その後は両脚で立つことができなかった。
 俺の身体は一体どうなってしまったのか。思い悩んだ鄭艶良は家族(妻と娘)に背中を押されて、保定市と北京市にある数軒の大病院で検査を受けた。その最終的な結果は、両脚の動脈全体に原因不明の血栓が生じているというもので、血管造影画像には右脚の動脈すべてと左脚の膝から下の動脈が消失していた。
 検査結果を診断した大病院の医師たちは、この種の奇病は中国でも珍しく、現在の医学では治療の方法が無いので、従来の治療方法を採るしかないと述べ、長く生きるとしても余命1カ月と宣告したのだった。一方、ある北京の医者は脚を切断すれば助かる可能性はあるが、費用は数十万元(約300万〜400万円)で、成功率は20%だと述べた。
 検査ですべての蓄えを使い果たしていた鄭艶良にとって数十万元もの手術代を支払う術はないし、わずか20%の成功率は論外と言えた。こうしてすべての望みを断ち切られた鄭艶良は失意のうちに自宅へ戻った。それからの3カ月間、鄭艶良は脚の激痛に意識朦朧となり、泣き叫んでは隣人たちの眠りを妨げた。鄭艶良は、日夜を問わず椅子にもたれて座っているだけで、横になることはできなかったし、普通なら1日1回で効く強力な鎮痛剤を1日に3回注射しても効き目はなかった。それから間もなくして、鄭艶良の右脚には多数の紫斑が現れ、その後皮膚が黒く変色してただれて、膿が流れ、腿の骨が露出し始めた。
 大きくただれた右脚は歩行機能が失われ、ただれた部位は上に向かってどんどん広がってくる。しかし、食べることにも事欠く鄭家に、医院で手術を受けるカネなどあるはずがない。それならどうすればよいのか。悩みぬいた鄭艶良が出した結論は、「自分自身でやるしかない」だった。
世論に押されて政府も救いの手
 2012年4月14日の午前11時頃、鄭艶良は毎日の看病で疲れている妻を寝室で休ませると、ノコギリと果物ナイフを準備した。覚悟を決めた鄭艶良は、日頃使っている孫の手に巻き付けたタオルを口にくわえると、自らノコギリと果物ナイフを使って右脚の切断を始めたのだった。筆舌に尽くし難い激痛が脳天を突き上げたが、鄭艶良は奥歯をかみしめて耐えながら、ゆっくりとノコギリを動かし続けた。そして、右脚の切断が終わったことを確認した時点で意識を失った。
 20分ほど経過した頃、悪夢にうなされて目覚めた妻が鄭艶良を気遣って部屋に入ると、そこで見たのは、付け根から約15cmのところで切断された右脚と2つに折れたノコギリ、そして机の上に転がった4本の奥歯であった。不幸中の幸いにも、動脈に血栓があったために、切断時の出血はさほど多くはなかった。
 右脚の切断後、残された大腿部のただれは治まった。しかし、同様の症状を示していた左脚はますます悪化し、右脚切断の2日後にはくるぶしから下が腐り落ちた。それから1年半が経過した2013年10月の時点では、鄭艶良の左脚のただれは膝下10cmのところまで来ており、鎮痛剤では激痛を抑えることができない状態になっている。できることなら治療を受けたいが、妻も糖尿病と心臓病を抱え、高校を中退して靴工場で働く17歳の娘の収入だけに頼って生活する鄭艶良にとって、それはどだい無理な話である。
 上記の記事がネットを通じて全国に報じられると、余りにも悲惨な現実に世論は沸騰し、「中国には金持ちが大勢いるというのに、貧乏人は病気になっても診療すら受けられず、政府は見て見ぬ振りだ」という声が全国から湧き上がった。こうした世論に押された保定市政府は慌てて鄭艶良を“保定市第二人民医院”(以下「保定医院」)に収容して無償の治療を受けさせると同時に、清苑県ならびに東臧村の両政府に対して生活保護、二級身障者認定、“新農村合作医療保険”などの手続きを行うよう指示した。鄭艶良には、全国各地から義捐金が続々と送られて来ており、河北省および保定市の“紅十字会(赤十字)”からの義捐金を加えると、10月12日時点で総額は5万元(約80万円)に達しているという。≫日本経済新聞コラム『世界鑑測北村豊の「中国・キタムラリポ^ト」』(2013年10月25日)
 この文章は「医療費が賄えず、我が身を自分で手術する人々ー公的保険制度はあっても診療が受けられない」と題する今日のリポートの引用であるが、北村氏はこのほかに二例の自らの足を切断する話しを書いている。いずれも凄惨な話であるが、その根本の原因は、治療を受けるときの前払い(預託金)制度にあると指摘している。
 確かに、以前に中国医科大学盛京病院で頭のケガを治療して貰ったときも、先ず治療を受ける前に治療費を払って、その領収書がなければ治療して貰えなかった経験がある。その時は、未払いで逃げるのを防ぐためだろうかと考えていたが、現金収入のない農村の患者にとっては、全額自己負担(それも前金で)という制度は、たとえ後日何割か返ってくるにしても、とても賄いきれるものではないようだ。しかも、難病などの高額医療は自己負担分は多いようだ。これは、まったく制度の問題だ。 日本のように、治療を受けて三割の自己負担分さえ払わないで逃げているものがいる制度とは雲泥の差だ。日本の保険制度はひょっとすると世界有数の先進国ではないかなと思う。
 アメリカでオバマ氏が奮闘して導入しようとしている保健医療制度(オバマケア)をめぐる騒動を聞くと、この面では日本ははるかに優れていると思う。学生にも、自信を持って「病気になっても大丈夫だ。日本に留学しなさい。」と言える。学生に対する保険制度は別だが。