放浪ー瀋陽日記

 11月に入ってから、何かと忙しくてこの欄に書き込む暇もなかった。暇はあったのだが、ついつい本を読みふけっていたというのが本当のところか。
 『望郷と訣別』(中国で成功した男の物語)佐藤正明著である。「若き日に欧州でユダヤ商法を学び、苦難の末、香港・中国で経営の現地化に成功した石井次郎。その秘訣は奉仕の精神に満ちた人心掌握術と驚異の全手動による工場経営にあった。さらに日系企業の駆け込み寺として深圳に設立したテクノセンター(日技城)は日中の架け橋として躍進し続けている」と文庫本の裏表紙に記してある。
 僕たちの会の「資料室」から借りてきたものだが、この本の第二章から第三章にデンマークコペンハーゲンでの生活が書かれていた。
 技術屋として腕に自信のあった石井次郎が紆余曲折の末に「モラ・フォト」というカメラや映写機などを扱う日本製品代理店に就職できることになった。彼の技術が認められて一定の給料を貰えるようになると、彼はかつての自分と同じように欧州放浪の旅の途中で行き倒れ寸前になっている若者を見つけ出しては自分の家に住まわせることを始めた。
 ここまで読んだときに、突然、44年前に「イシイイジロウ」という名前を聞いたことを思い出した。それは69年の2月だったか、68年の11月頃だったか、いずれにせよまだ寒い時期だった。MTという同級生と文学部長室の前で出会って、立ち話をしたときだった。彼は社交的な人物で文学部が実際的に主導権を握っていた「大学祭」のプロモーターのような役をしていて、彼と一緒に暫く大学祭の準備などをしたことがあった。その大学祭から1年後に「大学紛争」で騒がしくなった大學に見切りを付けて、ヨーロッパに放浪の旅に行くというのだった。貧乏学生だった僕には想像も付かないことだったから、ヨーロッパに行くと言ったって当てはあるのかと訊ねると、誰々がもうすでに行っているから、そいつを訪ねていくんだと答えた。そのとき、「イシイジロウ」という人がいて面倒を見てくれるそうだからと答えたのを、ふと思い出したのだ。
 石井次郎が面倒を見た青年男女は500人は下らなかったそうだ。その中の一人がMTだったのだと思い至った。MTとはその後会ったことはない。ただ、何度かふっと思い出すことがある。今どこで何をしているのだろうかと気になっている。(続く)