肖豊ー瀋陽日記

 肖豊とは学生の名前である。彼女の文章がとても良いので、無断で転載する。
 10月28日
 昼ご飯が終わった後、母に電話をかけた時「父さんはどう」と聞いた。意外にも「父さんはね、また朝までずっと残業していたの。身体大丈夫かな」と答えが返ってきた。それを聞いて、私は父に不満を抱き始めた。
 「なんでよ。いつも仕事、仕事ばっかり。家族のことは父さんには全く心配にならないの。母さんがずっと心配しているって、分からないの・・・」というと、「違うわよ。父さんは誰よりも家族を大事にしているのよ。彼が今やっていることはすべて私達のためなの」母は急いでいった。
 「でも・・・」と言い掛けたとき、昼寝の就寝を告げるベルが鳴った。急いで電話を切った後、私は眠れなくなった。父との思い出が次々と目の前に浮かび始めた。
 生まれたとき医者のミスで私の寛骨は完全に折れていた。医者からその話を聞いたとき、父は驚いて「治るよね」と聞いた。だが、医者は「治る確率は5%以下だだ。医学的には身体障害者と呼ばれる。今諦めれば、医院の方で証明書を出すので、この子を養育員に送れば、もう一人の子どもが産める」といった。
 「いいえ、俺は諦めません。この子が俺の娘なんだから、死ぬまで諦めません」と返事した。幸せなことに私は治った。
 これらすべては母から聞いていた。その時父がどんなに絶望していたか、今の私にも想像できない。だが父は私を選んだ。
 その後もずっと私を守ってくれた。銀行員の彼はいつも仕事のために残業していたが、暇があったら必ず私の側にいてゲームをしたり、お話をしたりしていた。知らないうちに父は私の生活に欠かすことのできない存在になった。何かぬぶつかったときでも、父の声を聞けば安心できた。
 思い出すと、私は後悔した。父を誤解し、父の気持ちが分からなかったことに後悔した。私により良い生活を与えるために頑張っている父の姿が私の心を打った。父に文句を言った私が悪かったのだ。
 いま私にできることは父を応援することだ。彼に私の存在、私の成長を感じさせたとき、きっと喜んでくれると思う。
 「父さん、ご免なさい、ありがとう」。大きな声で言わなくても、彼は私の気持ちを分かってくれると信じている。