聖誕2ー瀋陽日記

 その人は僕の右隣に座っていた。関西地方のある県の役所に勤めていて退職して4年目だと言っていた。僕よりいくらか若いが、一見して公務員だったのではなかろうかと感じさせる雰囲気があった。というのも、名刺がないのでと渡された紙片には楷書できちっとした文字が並んでいた。きちっと並んでいるのだがいくらか流れによって崩したところがあるので、ひょっとするとと思って聞いてみたら、元公務員だと答えた。
 彼は1か月ほど前に瀋陽に来たところだと言い、妻の仕事を探しにこの会に参加したのだとうちあけた。退職してすぐに年金が貰えなかったころ、奥さんは故郷の瀋陽にもどって仕事がしたいといって瀋陽に戻った。瀋陽で韓国系の企業に勤めたのだが、同僚の慶弔時の付き合いにかかる費用が半端じゃないので、これでは働いている意味がないと考えて、日本語教師を目指しているのだという。奥さんは朝鮮民族の中国人であり、15年間日本に住んでいて、日本語が堪能なのだと言った。彼女の年齢は聞き漏らしたが、恐らく40才代から50才代だろうと推測している。彼がこちらも再婚で向こうも再婚だと語っていたことや、中国では年齢差が20年ぐらいまでは許容範囲だと聞いたことがあるからである。人それぞれに中国で暮らすには固有の事情があるのだなと彼の人を見ながら思わず慨嘆してしまった。
 丁度折良く、昨年もお目にかかった人材派遣会社を経営している日本国籍を取った人と顔を合わせたので、彼を紹介した。また、日本語学校の経営者とも面識があったので、もし希望が叶うならと思い紹介した。
 散会後、彼と同行して帰ったのだが、いろいろ紹介していただいて助かりましたと彼から謝辞を述べられた。果たして、その後順調に事が運んだかどうかは今のところ聞いていない。それよりも彼の働き口はどうするのかを聞き忘れていた。