窓ー瀋陽(小説)

 窓に映った男の黄緑の帽子が気になって仕方がない。きっとこの男は外国人なんだ。中国人が緑の帽子を被ったら物笑いの種になるのに、この男はそんなことにも気付いていないのだから。徐彩燕は地下鉄の2号線の車両の自分の左側で吊革を掴んで窓を見ている男の横顔を見てみた。男の右目が見えたのだが、盤錦の周辺に多くある蟹を養殖する池のような濁った輝きが見えて、急いで目をそらしてしまった。男は窓に映った彼女の表情を伺っているように見えて、少し腹が立ってきた。
 あんたが寝取られ男だったら、私は何なのよ。まるで亭主を他の女に寝取られた女じゃないのと思わず口にでかかった言葉を急いで飲み下した。
 今日も夫の張元明は家に帰ってこないだろう。いくら会社の食堂の主任だからといって、毎日が明け方まで接待があるわけじゃないだろう。娘には「パパは毎日接待で帰れないのよ。だって、中央からの通知で官僚の接待や贈賄が発覚したら厳しい処分が待っているのよ。『上に政策があれば、下に対策がある』というでしょう。だから、パパは毎日のように政府の高官の接待を会社の食堂で行っているのよ。身を粉にして働いているから、私も悪く思わないようにしているの」と一応何気ない風を装ってみた。でも、あのことだけは話さなかった。
 1週間前の月曜日に夫が帰ってきた。前に帰宅してから2週間ぶりだった。食事は済ませてきたから、といってシャワーを浴びに浴室に入った夫の脱ぎ捨てたシャツの上にあった携帯に着信コールがあった。シャツの上の携帯が緑の点滅をくり返していた。濃い灰色の背広を片付けようと思っていたときだったから、思わず手に取ってしまった。メールのボタンを押すと短い伝言が目に入った。「明日6時でいかが」と書いてあって小婉と送信人の名前があった。
夫からは聞いたことがなかった名前だ。しかも、小がついているのだからかなり親しい女なのだろう。黙って元に戻して、唇を噛みしめた。妻であっても夫のメールを無断に見るのは良くないと思ったためもあり、疑いをそのまま口にすることができなかった。あの時も、離婚しようと思ったのだが、娘が成人して大学に入るまでは我慢しようと自分に言い聞かせたのだった。
 どうして私にばかり、こんなことが続くのだろう。(続く)