藍維の日記

 昨日から、インターネットがダウンしてしまった。メールのチェックも何もできなくなってしまった。仕方がないので、この欄を続けようと思う。今日は、作家と医者を目指している女生徒の文章。当然仮名にしている。
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 2013年12月16日
 私は、この手で自分の双子の姉ちゃんを殺した。その時彼女は泣いていたのか。もう忘れた、というより全然記憶がないのだ。気が付いたら彼女は永久にこの世から消えていた。
 そして私の妹も殺された。ずっと前には長男の兄さんも殺された。
 姉ちゃんのことは分からないけど、妹と兄の死んだときの惨状は、今では、はっきりと想像できる。肢体を切り裂かれ、頭を欠片まで挟まれて、弱くて何の抵抗もできなかった。彼らは何も悪いことをしていないのに、そのまま悲惨にも死んでしまった。
 三人とも母親が孕んでいたときに死んだ。
 兄さんも妹も人工流産でなくなった。姉ちゃんは、たぶん私との生存競争に失敗して、栄養不足で影も残らないで死んだ。
 「もし四人とも生きておれば、今はどういう状況でしょう。」という想像はいつも頭の中にゴロゴロしている。兄さんはもう19歳、大学2年生になったはず。姉ちゃんと私は同じ顔で同じ服で、まるで鏡のようにこのクラスにいるはず。妹は16歳か15歳かよく知らないけれど、花のような年齢で、美しい少女。
兄妹四人、賑やかな家族のはずだ。
 しかし、今は私一人がこの世界に残っている。
 「人工流産」って、「一人っ子政策」って犯罪ではないの。
 どれだけ国家が困難であっても、どれだけ親たちが困難であっても、子どもたちは無罪だ。彼らも人間で、彼らにもきらびやかな人生があるはずだ。だけど、彼らは受動的に生まれて、受動的に殺されて、泣くこともできない。
 それって、「人権」というものがどこにあるの。医者は人を救うために存在しているはずなのに、なんでそんなに残酷に、表情も変えないで若い命を虐殺することができる?母親は世の中で一番優しい人であるはずなのに、なんで「政策」に従って自分の子どもを殺さなければならない!
 
 私は幸運だ。四人の中で殺されなかったので。
 彼らも幸運だ。この悩みだらけの世界の中にいなくてもいいんだから。
 
 私はいつも悩んでいる。無意味な小さいことでも、激しい競争の中での自分の未来のような大きな問題でも、何にでもいらいらしている。しかし、その時、彼らがずっと私の側にいると思えば、生きる勇気が出てくる。