玉龍雪山6ー雲南日記


 妻は幾分疲れた様子で桟道の階段に腰掛けて僕の帰りを待ちかねていた。確かに、ちょっと行けるだけ行ってくると言い置いたのだから、30分は十分に長い時間だったかも知れない。「遅かったね」という言葉に、ひたすら謝るしかなかった。

 さて、下山だ。桟道を下るのは、前に書いたようにかなり危険だ。桟道の板の間の雪が凍結して溶けていないから、うっかり踏むと足を滑らし兼ねない。妻も慎重に下りていく。すると、登るとき見かけた若者の二人連れが「日本の方ですか」と声をかけてきた。その若者の一人は登るときに上半身裸になっていて、二人で何か言い合いながら登っていた。上半身裸の子は少し小太りで中国人には少ない(?)白い肌をしていた。暑いから上着もシャツも脱いだのか、日に肌を焼くためにわざわざ脱いだのかと不思議に思っていた子たちだ。香港から来た大学生だという。大学の第二外国語で日本語を習っているのだそうだ。第二外国語にしてはなかなか流暢な日本語だった。こうして機会を見つけて、その言語を試して見る所などは、僕らの世代の言語習得の状況とは雲泥の差があるな、これは民族の差なのか、時代の差なのかと、いずれにしても感心すること頻りだった。
 一頃のように、日本語を聞くだけで目の敵にするような状況はひとまず克服されたような実感を持った。でも、日本人観光客が激減しているのは変わらないようだ。
 帰りのロープウェイは空いていた。ほとんど列ぶことなくゴンドラに乗り込んだ。
今度は、我々夫婦と中国人夫婦、そして中国人の若いカップルという6人乗りだった。下りていく途中に、若いカップルの男性が英語で話しかけてきた。またまた、「韓国人か台湾人か」と聞かれた。(日本人観光客が少ないからしょうがないが)「日本人だ」と答えて、実は瀋陽に住んでいるというと、男性は自分も瀋陽に住んでいる。今日は雲南省の友人と一緒にこの山に来たのだという。友人とは隣にいる女性だ。一緒にいる夫婦は女性の両親かも知れない(両親にしたら少し若いかなとも思うが)。どこの学校かと聞くので答えると実は自分はその姉妹校の英語の教師をしていたことがある。今は違う中学の教師をしているのだがと言ってきた。なるほど、道理で、英語が流暢なわけだ。世間は案外狭い、中国でも。
 標高は急激に下がっていく。持っていた酸素ボンベが邪魔になってくる。運転手にあげようかとも思ったのだが、そんな吸いさしのボンベが必要になるとも思えない。
残りを思いっきり顔に吹きかけて、稜線を下っていく風景を楽しんでみた。
 名残惜しさを酸素ボンベに託したような気分だった。
 ゴンドラを下りたところに、大きなポリバケツが置いてあった。その中には数本の空き缶が転がっていた。吸い尽くしたものも含めて、2本をポリバケツに突っ込んだ。
 駐車場で運転手に電話すると、車の前で運転手が手招きした。てっきり、この4時間ぐらいの間、どこかでもう一稼ぎしているのだろうと想像していた僕は彼

の姿を見てびっくりした。ずっと車で待っていたようだ。目が眠そうにふさがっていた。