瀋陽日記ー偸行李2

 翌朝、7時に昨日届け出た警官の詰め所に出向くと、そこには見知らない警官がいた。名前を名乗って、リュックを取りに来たと言うと、公安の瀋陽駅分署へ行けという。3度ほど繰り返して貰って、やっと飲み込めたので、待合室(と言うよりもドーム)を出て、指定された場所に向かった。それは、北側の券売所のすぐ北隣にあるらしいのだが、入り口がどこか見当たらない。掃除をしているおばさんに聞いてやっと入り口が分かった。「旅客の出入りを禁ず」と張り紙がしてある扉だった。3階というのはすでに聞いていたが、2階から3階の階段には鉄格子の仕切りがしてあった。また、迷っていると通りがかりの人が、左の中程にあるボタンを押せという。押すとカチャッと音がしたので、扉を引くと開いた。
 3階のフロアの奧に、詰め所があって。開いたドアの向こうに僕のリュックが見えた。ドアをノックして、課長(係長)と思しき人の前で、来た理由を言うと、一人の男を向かい側に据えて、取り調べをしていた警官がこちらを見た。昨日届けた警官だった。この警官は、昨日、寮に戻ろうと地下鉄に乗ってた僕に「監視カメラにそれらしいバッグが写っているが、確認に来て欲しい」と電話してくれた人だ(明日の朝にして欲しいと言ったのだが)。そして、10時過ぎにバッグが見つかったと教えてくれた人でもある。
 バッグを貰いに来たと言うと取り調べを中断して、僕に「中味でなくなったものがないか調べるように」と言った。
 何一つなくなったものはなかった。現金をしまってあった場所から取り出すと、封筒に入ったまま「1000元」がきっかり出てきた。無くなっているものは何もないと報告するとカメラと現金と手帳を持って写真を撮ってくれた。あの警官も一緒に入っての写真だ。きっとこれは彼の手柄の1つとして記録されるのだろうと思った。こういう人が昇進するのは、喜ばしいことだと手前みそに考えた。写真を摂ったとき、現金を10枚揃っていることが分かるように広げるように言われ、そのようにしたのだが、取り調べにあっていた男の目が大きく見開いたように思えた。男はこういっては悪いが、出稼ぎに来ている農民工のように感じられる少し汚れた菜っ葉服であった。
 再度、説明を受けたとき、A10の椅子にバッグはあったという。僕が必死に探したのはA11,12,13だったから見落としていたのだろうということだった。思わず「そんなはずがない」と言いそうになったのだが、バッグが見つかったことだし、記憶違いということもあるしと思いとどまった。それを正確に言う中国語も知らなかったせいもあるが。
 しかし、バッグが改札の通路を飛び越えて、10mも先に行っているとは考えられない。(その後、A10の椅子に座ってみると、その席は1列しかなかった。記憶とはまったく違うと気が付いた)
 再度お礼を言い、警官2人と握手して分かれたが、その時から取り調べを受けていた男のことが気になった。
 ここからは、全くの想像なのだが、「ひょっとしたら、あの男が持って帰った場面がカメラに写っていて、あの男を逮捕して取り調べていたのだろうか」という疑念が浮かんだ。あるいは「持って駅の構内を出る前に、警官がウロウロする様子を見て、危ないと感じて元あった場所の近くに置いたのかも知れない」とも思った。
 もしそうだとすれば、警官に思わぬ苦労をかけたし、あの男に出来心を抱かせるような軽率な振る舞いをしてしまったものだと、内心反省した。
 今回のことで、2つのことを学んだ。1つ目は、中国へ来るとき「スリや泥棒に注意しなさい」と残留邦人(孤児)の方々からも言われていたのだが、それを忘れてしまっていた僕の軽率さもさることながら、勤務時間を超過してまで、バッグ探しに取り組んでくれた警察官の実力とバッグそのものが返ってきたという中国の現状についてだ。
 イタリアに旅行したときもそうだったし、外国旅行をする人から、スリや置き引きに会わない心構えなどは沢山聞いたことがある。そして、忘れ物や落とし物が本人の元に無事に帰ってくるのはほとんど日本ぐらいだとも聞いていた。だが、中国の瀋陽でも、外国人のバッグが無事に帰ってくることがあるのだ。それほど、警察力や民度が上がっているのだと言うことだ。
 2つ目は中国では出発してしまった列車の切符でも割増料金なしで乗車の便を変更できることだ。これは旅行好きの僕にとっては、また、とても重大な発見であった。