瀋陽日記ー下放3

 下放3《続き》
 ほとんどすべての下放青年の下郷後の仕事は農業生産労働にに従事することであった。農場に配置された知青は、通常は毎月30元前後の固定給を貰っていた。所在の生産隊は約百名の知青を集められ、
大部分は機械を使い、生産率も比較的高く、食堂で食事をし、集団宿舎に泊まり、毎年(あるいは2年毎)に旅費支給の帰省休暇があり、生活が比較的に安定していたため、農場にいた時間も長く、ほとんど大部分の人が文革が終わった1978年前後になって街に帰ってきている。
 挿隊の知青(人民公社の生産隊に配属された知識青年)は労働点数を稼ぐだけで、しかも最高の1日10点を稼ぐのは極めて難しく、あらゆる経費は自分で支払い、1つの生産隊に通常は10人足らずで、宿舎にとても差があり、食事は自炊で、多くの地方では1年分の給付金が家に帰る旅費にも満たなかったので、大部分は比較的早くに農村を離れていた。
 いくらかの知青は当地で教師や医者などの仕事を担当し、その地の教育水準や医療水準を著しく向上させた。

 以上で「下放青年(知青)」の一般的な解説の翻訳を終えて、次回からは、国民的女優、且つ億万長者と称される「劉暁慶」のことを書いてみたい。