引越しー瀋陽日記

 前回のブログを書いてから、2週間以上になる。またまた、読者の一人から、元気でいるのだろうかと懸念の電話があったと妻が伝えた。今日試験問題を仕上げて、やっと書いてみようという気になった。
 6月23日に例会の報告を書いてから、実は、創作まがいのものに没頭していた。原稿の締め切りが、6月30日だったので、1週間はその原稿書きに追われた。瀋陽での人間模様を描いてみたのだが、4万字(原稿用紙百枚)ほど書いても、終わらなかった。その後も、付け加えたり、削ったりしているうちに総枚数は変わらないのだが、遅々として結末に辿り着かなかった。これは今もまだ格闘中だ。今頃になって書けることもあるのだという新しい発見に励まされて取り組んでいるのだが。どこかに応募するにしても未発表原稿に限るという枠填めがあるので、この場で発表はできない。
 さて、引越しのことだが、4階の南側の部屋から3階の北側の部屋に移らなければならなくなった。学校が新しい学生募集の方法を考え出して、この9月から中卒段階での選抜試験に合格した学生50名を日本留学に特化して受け入れることになった。これから、3年で最大150名の学生を受け入れるのだから、学生の寄宿舎の確保が問題だった。そこで、女子学生寮の下にある外教公寓の内でも比較的稼働率の低い4階を学生の寮に模様替えすることに決まったのだ。もちろん打診などはない。決まったから今週中に移動してくれという具合だ。事前にそれらしい雰囲気は掃除のおばさんなどから聞いていたから驚きはしなかったが、毎度のことながら、やはり精神的には疲れる。この国では本当によくあることのようだ。
 同僚たちが心配して手伝うと申し出てくれたのだが。下着だの衣服だのを他人の手に委ねる気にもならず、4階と3階の廊下と階段を何十往復かして、先週末にやっと引越しを終えた。終わったと思ったら、案の定、ネットがつながらない。7月7日の月曜日まで待って、管理者に連絡をつけて貰って繋いだというのだが、その日もやはりつながらない。詳しい学生に頼んだところ、もう一人のパソコンに強い先生と一緒に夜中に部屋に来てくれ、夜9時過ぎになってやっと繋がるようになった。
 それやこれやで、ブログが書けない日々が続いた。弁解ばかりになっているがこれがこの間の事情である。