2011-01-01から1年間の記事一覧

中谷風の瀋陽日記

語学 2日続けて、在瀋陽日本領事館総領事にあった。1日は学校での講演会で講師として来校した時に、2日目は新しい教師会のメンバーの一人の講演会に参加者として来場した時だ。 彼自身の講演は、学校が依頼したもので、震災後の日本の復興状況などを話して学…

中谷風の瀋陽日記

小話2 小話の続きを。(学生寮は男子の階と女子の階が分かれていて、直接は行き来できない。) 「昨夜のこと、男子の階の舎監がペイさんだった。ペイさんの綽名は『犬』だが、その日は中学3年の女子寮が就寝時間を過ぎても煩かった。怒りを抑えられないぺイ…

中谷風の瀋陽日記

小 話 小耳にはさんだ話を二つ。 「国民党と共産党が戦っていた時、共産党が優勢ではなかった。だが、そんな時、共産党員の1人が1名の主席を選出しようと提案した。しかし、ある人が反対して言った。『どんな、そそっかしい(=毛)主席を選ぼうと言うんだい…

中谷風の瀋陽日記

太極拳 10月に入って、1度も太極拳をしていない。というのも、旅行に行く前の2日の日曜日の朝に行った時は、男3人でうろうろしていたのだが、旅行から帰って出かけてみても、いつもの練習場所にいつもの時間、誰もいなかった。時間が変更になったのかと思っ…

中谷風の瀋陽日記

感 心 中国に来て感心したことが数多くある。その第一に挙げられるのは、「年寄りを大事にする」ということだ。バスに乗っていて、どんなに混んでいても、老人が乗車してくると、若者が率先して席を譲る。ほとんどの年寄りは“ありがとう”か何か声を掛けて席…

中谷風の瀋陽日記

語録 40年前、この地でも「毛主席語録」が打ち振られていたに違いない。骨董市などに行くと毛語録が大量に並べられている。知人があの時代の記念に買い求めたが、結構な値段がしていた。1冊なら20元、3冊で50元と言っていた記憶がある。あの頃の言葉の群れは…

中谷風の瀋陽日記

お話 旅先で聞いた話を2、3書き留めておきたい。ガイドは文革の時代を幼少年期で過ごしている。1978年12月、改革開放時代が幕を開けて、1981年から大学入学統一テストが始まる。彼が日本語を選んだのは日本が好きだったからだし、中学・高校と選択した外国…

中谷風の瀋陽日記

中谷風の瀋陽日記

大連4 ロシア人街の後は大連埠頭を目指したが、埠頭には入れないため、フェリー乗り場に行った。フェリー乗り場の建物や、向かい側のビルなども戦前からのものだという。すると、戦前、下関や九州各地などへ出ていた船はここから出港していたのだ。その雰囲…

中谷風の瀋陽日記

大連3 星海公園は旧満州(偽満州)時代「星が浦」と呼ばれた有名な海水浴場であり、現在も7月、8月は海水浴客で「芋の子を洗う」(ガイドの言葉)状態だという。すぐ近くに大連自然公園などがあるが、今日はひたすら、海とバンジージャンプを眺め、公園内…

中谷風の瀋陽日記

大連2 旧南満鉄本社から旧満鉄病院に回った時、懐かしい名前の胸像に出会った。ガイドが「あれは誰だかわかりますか」と聞いた時は一瞬見当もつかなかったのだが、その名前を聞いて思い至った。胸像はカナダ人ベチューンだった。ここに関係がありますか、と…

中谷風の瀋陽日記

大連1−② 瀋陽北駅の込み具合は矢張り予想どおりだった。朝5時に起きて、5時半出発。6時10分頃の214番バスで北京街へ。そこから徒歩10分で北駅に着いたのが7時過ぎだった。すでに、沢山の人が列車を待っていた。今日は連休の3日目。観光地に行く…

中谷風の瀋陽日記

大連1 無事に、大連から帰り着いた。大変収穫の多い、充実した旅行だった。これで病み付きになって、ハルピンや長春、牡丹江等へも行ってみようかなと秘かに考えている。さらに、大連から煙台までフェリーで8時間ほどと聞いたので、そちらも興味が出てきた…

中谷風の瀋陽日記

気温 数日前に気温のことを書いたら、色々と反応があった。この時期、日本がまだ暑かったせいだろうか、最低気温5℃という世界が遠いことのように思えたのかもしれない。そして、今日、なんと最低気温0℃、最高気温14℃となった。確かに太極拳に行く朝の自…

中谷風の

中谷風の瀋陽日記

北駅 瀋陽には、瀋陽北駅と瀋陽駅(南駅とも言う)の2つのターミナルがある。大連行の列車の出発点が北駅なので、当日いきなりでは心もとないので、事前に改札まで行ってみようと計画していた。昨日の学生が一人、今日も付き合ってくれた。スタバで待ち合わ…

中谷風の瀋陽日記

読書会 『1Q84』の読書会をやっとできた。日本語が得意な2人の男子学生の提唱で、懸案の読書会を計画から2か月目でやっと開くことができた。卒業生が男子3名、女子2名、現3年生の女子が4名、そして、私の計10名が青年大街の「スターバックス}に集…

中谷風の瀋陽日記

整形 日本に留学する女子学生の間で密かにブームになっているのが、瞼の二重整形手術だとか。少なくとも2名の女子が一重瞼を二重に整形している。一人は母親の強力な薦めで、この夏の間に手術をした。母親自身が若い頃したかったことなので、娘にも大学生に…

中谷風の瀋陽日記

書法 昨日は2週間ぶりの書法の稽古の日、先生の希望で火曜日の午後に実施することに変更した。今書いているのは、「唐劉禹錫『陋室銘』」である。7月下旬に次回の課題として出されたのだが、9月になって、前回やっと書いて持っていくと、「込み入っている…

中谷風の瀋陽日記

インク 瀋陽で買ったプリンターはキャノンのPIXIMAip2780という機種。確か700元ぐらいで買えて、さすが中国に来るとプリンターも安いと思っていた。ところが、インクが切れると(これはかなり早くなくなる)毎日の教材の印刷などに必要なので、背に腹は代え…

中谷風の瀋陽日記

切符 中国の列車の切符を初めて手にした。午前中、大連行の残りの料金を納め、合わせて列車の切符を受け取るために、旅行社に出かけた。10月4日の分は昨日(日)に手に入ったそうだ。どのような切符も、10日前にならないと買えないらしい。3日の分は一昨日に…

中谷風の瀋陽日記

脱北 韓国映画『クロッシング』を見た。日本人教師で貸してくれる人があって、先日借りていたのだが、今日の午前中にやっと一通り見た。(すべて韓国語。英語バージョンにできなかった。)監督は有名なキム・テギュン、主演はチャ・インピョ、シン・ミョンチ…

中谷風の瀋陽日記

写真 久しぶりに、何もない土曜日を迎えた。先週は、瀋陽の日本人教師の集まりがあって、その後歓迎会をした。新しいメンバーを迎えたが、いずれも、ユニークな人材が今回も揃っている。いずれその報告もしたい。 写真がたまっていて、アップロードする機会…

中谷風の瀋陽日記

今津線 学校の書棚にたまたま有川浩「阪急電車」があった。かつて、逆瀬川に12年程住んでいたので、懐かしさで一挙に読み終わった。構成も筋の運びも意外と面白かった。こちらに来ると、何故か日本語のものが妙に読みたくなったりする。一種の郷愁なのだろう…

中谷風の瀋陽日記

季節 こちらは季節の移り変わりがとても速い。8月一杯は日本と変わらない暑さだったのだが、9月に入ると急に朝晩の冷え込みが感じられるようになった。特に、朝6時前後の太極拳に行くときは9月初旬でも空気は肌寒く感じたものだ。9月下旬になった今は最…

中谷風の瀋陽日記

文旦漬2 出来上がった文旦漬けを我々の職員室に持って行った。学生と話しをしていたアユさんと相手の学生に試食を薦めると、一口食べておいしいと言ってくれた。調子に乗って、みんなに食べてもいいですよって伝えてよというと、女子学生は「嬉しい。じゃ持…

中谷風の瀋陽日記

文旦漬け この記事は16日に書いていたのだが、突然消えてしまったので、書き直しになる。 中国では、仲秋節の前になると月餅などとともに『蜜柚』と名付けられたザボンよりも大きい柑橘類が売り出される。麗々しくビニールで覆いをされ、その上から赤いネッ…

中谷風の瀋陽日記

大連 国慶節の連休はなんと10月1日から10月7日まで 8日間もある。その間、一人で鬱々しているのも芸がないので、大連へ旅行しようと考えた。マエさんに紹介された旅行社に電話したら土日は休みだとのこと。(ふーん中国では旅行社も土日は休みなんだ…

中谷風の瀋陽日記

9.18 携帯に突然見知らぬメールが入った。マンションの業者や宝石、輸入品業者からメールが入るのは度々だが、今日のそれは変わっていた。「今年の9月18日は9.18事変80周年です。安全に暮らしてこそ、危機を思い、警鐘を長く鳴らし、国を富ませ、軍を強くし…

中谷風の瀋陽日記

ネット 昨日のブログは、題字だけで記事がない。実は、通じにくいネットを使ってブログを書いていたので、初めに、題字を打ち込んだ状態で。文字の確定の意味でリターンキーを押したら、アップロードの画面になってしまった。 そのカバーに、一生懸命記事を…