2013-01-01から1年間の記事一覧

弁論ー瀋陽日記

昨日午後から、徳島県日中青少年育成交流協会が主催する第10回懸賞論文発表大会があった。東北大学と、私たちの教師の会が後援した。この懸賞論文大会の優秀者3名が徳島県に招待され、徳島県下の日中友好協会の会員宅でホームステイし、県庁訪問や徳島大学、…

赤飯ー瀋陽日記

この間、2回赤飯を炊いた。赤飯と言っても、糯米が入っていない。粳米に小豆を混ぜただけである。だいたい、中国では白米だけでないご飯が時々出される。粟の入ったもの、豆の入った物、五穀がすべて入った物など色々だが、小豆だけのものには余りお目にかか…

密室ー瀋陽日記

密室脱出体験ゲームというものを経験した。4室からできている密室にそれぞれ鍵がかかっていて、第4室目には第1室から出る鍵のヒントがあるというのだ。第1の部屋にはヒントになる紙が一枚置いてあるきりである。その部屋に入って、目まいがするようなゼブラ…

車掌2ー太原日記

武郷行きの寝台車の女車掌は40歳前後のベテランに見えた。僕の席は3段の一番下だったので、早朝6:45に太原に着いたことでもあり、暫く眠ろうと思っていた。 列車は7:17の時間どおりに出発した。向かい側の席には孫娘を連れた祖母が座っていた。母親は少し…

車掌ー太原紀行

車掌のことは中国語でも乗務員という。列車の場合は列車員とも言うと辞書にはある。 長距離列車に乗る場合、必ずこの乗務員にお世話になる。特に今回の場合は、瀋陽から太原、太原から武郷へと列車を乗り継いだのだが、両方共寝台車にした。武郷行きは寝台車…

参謀ーハイラル紀行

ノモンハン戦役での重要人物に辻正信がいる。辻正信については個人的な記憶がある。 辻は現職の参議院議員のままで、1961年4月にラオスで消息を絶っている。そのことが新聞記事になった頃だったので、僕が14才になった頃だっただろう。父が新聞を読みながら…

歯医者ー瀋陽日記

歯の治療がやっと終わった。欠けた門歯の右2番をセラニック歯で成形した。これで、5回の通院で全部の治療が終わったことになる。 手帳を元に振り返ってみると、9月12日、初診、残存部の掃除と整形、X線撮影、9月16日、歯根部の治療と整形、9月24日、台を付…

戦跡ーハイラル紀行

ハイラルからこの国境までの距離は縮尺385万分の1の全国道路地図で計算してみると、約205kmである。車は大体80km/時の安全走行だったから、2時間半の行程である。道路は極めてきれいに舗装されており、途中に牛の群れなどが横切らなければ、日本の高速道路…

財布ー瀋陽日記

このブログを見た妻から指摘があった。家事の欄で祖父母がゼロなのは、所帯が別だからでしょうと。全くその通りなのだ。 住宅事情で述べようと思うが、この欄でも書いたように、多くの家庭は、スープの冷めない距離に祖父母の家がある。食事は祖父母が作ると…

家事ー瀋陽日記

家事を誰が分担するのかということは、日本人にとってもなかなか難しい問題で、僕なんかには、余り語る資格はない。若いときから「思想は革新的だが、体質は保守的」と妻から断言されているのだから、余り偉そうなことは言えない。僕の生活態度、特に家事に…

結婚ー瀋陽日記

『日本事情』の授業で「結婚」を取り上げて、見合い結婚か恋愛結婚かという調査を行ってみた。分母は70名ほどの現高校3年生である。 まず、両親の結婚について、 恋愛:28% 見合い:28% 知らない:44% と出た。知らないの回答者に男子生徒が多かったのは…

国境ーハイラル紀行

国境とは名ばかりで、予想していた有刺鉄線などどこにもない。省道201号から100米ほど離れたところに、50米置きに白い杭が並んでいるだけである。映画『クロスイング』のモンゴルへの越境の場面が頭にこびりついていたので、この風景は意外だった。近くに、…

戦場ーハイラル紀行

翌朝(8月30日)、約束の8時半ホテルのロビーに下りていくと、ハクさんとコさんが待ち受けていた。今日の予想気温は7℃〜17℃といい、今日の行程を確認した。ホロンバイルから省道201号を南西に下り、ノモンハンの戦場跡・記念館を見学。帰路は一端アアルシャ…

秋冷ーハイラル紀行

瀋陽を出たのは夜の7時、ハイラル(海拉尓)に着いたのが10時頃だった。予想はしていたものの、気温は7度ほどで、日本で言えば11月初旬の気温であった。確か、瀋陽の気温は15度ぐらいであったと思うから、気温差は10度近くある。空港にはガイドのハクさんが…

月餅ー瀋陽日記

今日が中秋である。この中秋に少し異変が起こっている。日本では余り盛んではないが、この名月の日に月餅を送ったりするのが中国では今も盛んだある。今年も早々と1週間前には学校から贈って貰ったり、親しい学生二人から、一箱づつ贈られている。学校からは…

草原の草笛ーハイラル紀行

表題にも「ハイラル」という名を使っているが、今の中国にはハイラル市は存在していない。ホロンバイル(呼倫貝尓)市のハイラル区としてしか残っていない。しかし、街の多くの人々は今でも「ハイラル(海拉尓)」と呼んでいる。ホロンバイルとは本来、満州…

周年ー瀋陽日記

今日は9月18日、言うまでもなく満州事変(「柳条湖事件」)の起こった日である。 昨年のこの日には、尖閣緒島の国有化に反発する全国的な抗議行動が行われ、瀋陽でも日本領事館がデモ隊の投石によって窓ガラスが割られるような被害があった。 今年はどうなの…

草原の草笛ーハイラル紀行

ノモンハン・ハイラルの旅は6月頃に企画した。妻が日本から同行し、瀋陽に滞在している内に駆け足で回ろうという段取りで考えた。実は数年前に同僚とその家族7人が満州里からノモンハンに行くコースを旅行している。僕も誘われたのだが、日程的に会わないの…

草原ーハイラル紀行

表題を「草原の草笛」とすることにしていた。 それは、ノモンハン(諾門汗)からホロンバイル(呼倫貝尓)の帰路、省道202号線を走行していた時だ。途中で遅い昼食を摂ってから2時間ほどしていただろうか、尿意を催してきたので草原の中で車を止めて貰った。…

治療ー瀋陽日記

貴賓室で待つこと10分、僕の番になった。治療用の椅子に座ろうとして靴を脱ぐと「脱がなくてもいい」とのことだが、履き直すのも面倒なのでそのままにした。 今度の先生は、日本語が全く通じないので、通訳のカイチ君の存在が心強い。治療器具の使い方はほと…

歯科ー瀋陽日記

日本に帰国中の僕のスケジュールには歯科検診が必ず入っている。今年もかかりつけの歯科医で検査して貰ったところ、問題がないと言っていたので安心して瀋陽に来たのだったが、その検査から2週間後に門歯の次の歯が欠けてしまったのだ。それほど歯は難しいと…

残暑ー瀋陽日記

この数日残暑とも言える少しばかり暑い日々が続いている。といっても気温が25度を上回ることはないのだが、日差しは30度近くある。 10日に帰国した妻は家の近くの最高気温は32度で、昨日の室内温で28度といっていたから、日本に比べて余程涼しいのだが、秋冷…

秋風ー瀋陽日記

日本から戻って1週間以上になるのだが、今日やっとこのブログに書き込んでみようという気になった。というのも、瀋陽に戻ってすぐに内蒙古のハイラル、ノモンハンの旅に行って来たからだ。8月31日に再び瀋陽に戻って、すぐに新学年がスタートした。今年度も…

休息ー瀋陽日記

日本に戻って、2週間、ひたすら本を読んで過ごすことになった。 実のところ、学生の卒業文集の編集や「慰安婦」問題の翻訳などを予定していたのだが、それは余り進展しないままに日が過ぎてしまった。 明日には瀋陽に戻る予定である。そのあと、29日から3日…

南京3ー瀋陽日記

残暑お見舞い申し上げます。 明日、10日には日本に一時帰国します。27日にはこちらに戻りますが、その間一時PCを使えなくなるかも知れません。 多くの皆さんに、メールのアドレスのことで迷惑をおかけしました。お詫びします。 某全国紙に投稿した拙文が中…

南京2ー瀋陽日記

橋本君は反省したのだろうか、それとも、老練な政治家たちにいいように振り回されていると自覚したのか、あるいは、ほとぼりが冷めるまでとここは隠忍自重と決めたのか。 いずれにせよ、中央政界から距離を置くといっているらしい。 次の衆議院選挙を目指し…

南京ー瀋陽日記

南京と聞くとつい過敏にならざるを得ない。かつて、南京から来ていた留学生に聞いたことがあるが、当地では日本語は余り人気がない。その理由は言うまでもなく、「南京虐殺」の遠い記憶にある。遠い記憶と言っても、1937年12月17日から約6週間にわたって、焼…

証言3ー瀋陽日記

うっかりしている間に、8月も3日になってしまった。 この間、8月下旬に行く、ハイラル(ホロンバイル)までの飛行機の搭乗券を取るのに手間取っていた。夏のモンゴルの草原とノモンハンの旧跡を訊ねる予定である。 片道だけで990元という高値でしか手に入ら…

証言ー瀋陽日記

今学期も残すところ10日ばかりになってしまった。といっても、他校は7月初旬から長い休みに入っているのだが、この学校ばかりは、三年生のみ例年8月中旬まで授業をしてきた。 新三年生は彼らが学校を去った後、8月下旬授業に入っていたのだが、今年は「ゆと…

慰安婦2ー瀋陽日記

証言の翻訳を続ける。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ *二枚の「慰安婦」の写真の比較 ⑬ 後ろの画面(スタジオの画面)左側のこの写真の朴永心は短髪で、彼女の体形からすでに妊娠7,8か月の身重であることが見て取れる。 右側の一枚…